リレーコラムについて

あやしいバイト 〜前編〜

権八成裕

(※90年代半ば。およそ30年前の話です。題名からお察しの通り、現在の社会通念や価値観で言うと明らかに「不適切にも程がある」と思う内容も含まれます。大変申し訳ございません。まだ何も話してませんが先に謝っておきます。僕は間違えます。)

「ナンパするだけで金が貰えるんだぜ!」

騒々しいお昼時の学食ではっきりそう聞こえた。絵に描いたようなイケメンだが、どこか憎めない独特のおっとりしたバカっぽい声で、平戸(仮名)は確かにそう言った。マジかよ!!とみんな乗り出して聞き入ったが、平戸が自慢げにポケットから出して見せてくれたシワシワのフロムA(anかも)の雑な切り抜きの募集要項に、そんなことは一言も書かれていなかった。

いわゆる夜のお店のホールスタッフ募集の広告。時給も当時のごく一般的な金額だ。「いや違うんだよ。〇〇さんていう先輩の紹介でさ、、、」その頃、そういう怪しいバイトの話が僕らの元へ、次から次へと舞い込んだ。怪しいバイトは決まって「先輩の紹介でさ、、、」だし、なんか大体、断れないことになっていた。

その前には、外国の製薬会社(当時は全く知らなかったが今では誰もが知る世界的に超有名な会社)の新薬の臨床試験のバイト、てのも2回くらいやらされた。駒込の8階建くらいの綺麗な施設に入院(という言い方もどうかと思うが)しに行く。完全に感情のメーターを「無」の位置に設定しているのがマスク越しでもビンビンに伝わってくるナースから、発売前の薬を渡されて飲んだり注射されたりして、その後、数日間、体調の変化を記録される。一回だけ、注射されながら「これマジ大丈夫っすよね?」とヘラヘラ聞いたら、目を見ずに「誓約書読んでますよね」とだけ早口で言われたので、彼女達にそういう話をするのはやめた。

臨床試験のハードさ具合で金額は違っていたが、僕らは発売が決まってて安全性が約束されてる(って聞かされた)はずの胃薬とか軽め(何が)のやつを選んでやってた。3泊4日で7万円とかじゃなかったろうか。だいたい3人くらいで行って、病室でワイワイ遊んだり、時々、学校の宿題やったりして過ごした。ほとんどの入院患者は一人で来てたし、全員、年上に見えた。この人たち平日にこんなとこいて、普段は何してる人なんだろ。全くお互い様である。蛍光灯がとにかく明るくてチリ一つ落ちてない、「無機質」の辞書の説明の挿絵に最適すぎる清潔な空間だったが、妙な後ろめたさや息苦しさが漂っていて、とにかく早く退院(てどこも悪くないのにこの言葉を使うのはなんだが)したかった。飲食は猛烈に制限されるし(当たり前だ)で、結局、退院(ってしつこいがどうなんだその言い方)するとその日のうちに、地元の友達を大勢誘ってパーっと飲み行って封筒で貰ったお金ほとんど使い切ってた。真っ直ぐにバカだった。さっき「ハードさ具合」とシレッと書いたが、当時聞いた最ハードコア案件は「万力で身体の部位を骨折させてその回復を観察する」ていう正気の沙汰とは思えない殺し屋1(読んだことないけどイメージね)みたいな話だった。ちなみに一番高いのが太腿で70万とか言ってた。絶妙なプライス設定だ(何が)。あの頃、僕らが独特の気分で飲んでいた薬たちはどうなったんだろう。僕らは何かの役に立てたんだろうか。朝、二日酔いの薬を飲みながら時々思い出す。

めちゃ脱線した。

昼の飲み屋街のあの寂しさが、得意ではない。そこを通るのは決まってギラギラのネオンで明るい夜だったから、その通りが実は全く陽が当たらなくて、昼間こんなに真っ暗なことに妙に感心しながら僕は歩いてた。みんな「行く行く!」って言ってたくせに、当日、本当に面接に来たのは、結局、平戸と僕の二人だけだった。怪しいに決まってたが、例によって断りにくかったのと、まあなんとかなるっしょ、と、ギリギリ好奇心が優っていたんだと思う。

のちに、そこが有名な飲み屋ビルだと知ることになるのだが、光の灯らないネオンサインだらけの、暗くて静かなその雑居ビルの4階か5階に、その店はあった。

店の奥には長いバーカウンターと、手前には、ドーナツのような円形の大きなカウンターが二つあった。そしてなぜか、店の隅っこの方に、ボクシングの真っ黒なサンドバックが天井から太い鎖で、ドーン!とぶら下がってて、飲み屋に似つかわしくない鈍い光を、迫力満点に放っていた。

そのドーナツ状のカウンターの片隅で、色白で端正な顔立ちの片山(仮名)という男から説明を受けた。落ち着いた口調で淡々と説明する片山は、僕が思い描く「水商売」のイメージとは真逆の印象だった。学食での平戸の説明は、一つの捉え方であって、まあ間違いではないが、正確には全く違うバイトだった。

要するに、昼間は、街ゆく女性にお店で働かないかと声をかける仕事で、夜は、そのお店でボーイとして働く、という内容。「で、いつから来れるの?」僕も平戸も、即採用されて、その怪しいバイト生活がスタートした。

その店の名はアーミーズバーといった。在日米軍の米兵相手のお店。では全くなくて、お店の女性達が、なぜかピタピタの迷彩服とかピンクや水色や黄色のミニスカートのアーミールックで、カウンターの中から接客するスタイルの店だった。だからアーミーズバー。そんな言葉はなかったけれど今で言う「ガールスバー」の走りだろう。まあ、これも今で言う軽い「コスプレ」系の店なんだろう(その言葉もなかった)けど、その軍隊ルックというジャンルにそんなに需要があるとは到底思えないのだが、正直かなり繁盛していた。中年から年配の(時にはあからさまにお爺さんもいた)男性客が続々と入店して、高い金払って、女の子とカウンター越しに飲みながらどうでもいい話をして帰っていく。まだ二十歳そこらの僕には、一体それの何がありがたくて、どこがどう楽しいのか、マジで、まっっっったく理解できなかった。こんなことにこんな大金を払って、チョー死ぬほど勿体ねえ、って思いながら、そんなことはおくびにも出さずに、丸くてでかい銀のお盆を右手の指先だけで持って(最初にめっちゃ練習させられた)、お酒とかアイス(氷のこと)をお姉さま達のもとへ、運んでいた。

つづく

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